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- 川端町(近世)とは
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川端町(近世) 江戸期~明治5年の町名堺町のうちはじめ南本郷,元禄6年南組に所属大道筋の甲斐町と大町との間から東方へ至る大町から東へ3筋めをオホカコ(大籠)町,4筋めを硫黄屋町と称した元禄8年の「手鑑」によると地子銀363匁余・役家数34軒,享保5年には地子銀363匁余・家役数32役(堺市史5),寛政11年の石銀家数寄帳では家数32軒・地子銀363匁余・家役数35役(全志5)地内の一部を絹屋1丁目と俗称した明治5年甲斐町東1~6丁・大町東1~4丁となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川端町(近世) 江戸期~明治2年の町名烏丸通上長者町下ルの町町名は町内に宮中御用達の粽屋川端道喜が住んでいたことによる(京都大概覚書)町内にはほかに,宮中の木具御用達の木具屋左衛門(京都大概覚書),御装束師黒川三次郎(京羽津根),太刀屋藤原和泉(京羽二重)らが居を構えていた江戸期は禁裏六町町組の烏丸頭町十一町組に属す明治2年,驢菴【ろあん】町・烏丸頭町と合併して竜前【たつまえ】町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」